総合司会・パートナー司会とは? わかりやすく解説

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総合司会・パートナー司会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:40 UTC 版)

小川宏ショー」の記事における「総合司会・パートナー司会」の解説

期間総合司会パートナー司会男性女性1965.5.11966.12.2小川宏 露木茂 木元教子 1966.12.51968.3.29芳村真理 1968.4.11968.12.31田代美代子 1969.1.61970.3.31松村満美子 1970.4.11971.1.29山川建夫 1971.2.11972.3.31(不在) 1972.4.31973.6.29松倉悦郎 1973.7.21975.5.30藤田弓子 1975.6.21975.10.3浜美枝 1975.10.61976.6.4露木茂 1976.6.71977.12.2三上彩子 1977.12.51979.3.30加賀富美子 1979.4.21980.3.31露木茂本間正彦 芦川よしみ 1980.4.11981.3.31新井春美 1981.4.11982.3.31陣内誠 頼近美津子 備考 小川放送開始から終了まで出演男性本間フジテレビ報道局記者(元フジテレビアナウンサー本間淳子の夫、現・情報制作局取材担当局長)、その他はフジテレビアナウンサー女性のうち三上加賀、頼近はフジテレビアナウンサー当時)。 1979年3月まではサブ司会者番組内の生CM担当露木は、1970年3月31日放送で一旦司会降板したが、この日に偶然によど号ハイジャック事件発生同事件を自身当時受け持っていたコーナーである「露木レポート」の中で重点的に取り扱う事になったためにそのまま番組出演継続この際取材・レポート振りが局の内外好評得たために同事件の報道一段落付いた後もレポーターとしてそのままレギュラー出演継続1971年4月以降は、レポーター扱いながらサブ司会者格の位置づけ出演取材などで遠方赴く必要がない場合には、山川起用前と同様に小川松村スタジオ進行補助する役回り務めた)。1975年10月からは山川の降板から約1年ほど空席となっていた新たな男性サブ司会者抜擢され松倉後を引き継ぐ形で正式に司会陣に復帰することとなった(なお、2度目正式なサブ司会者としての出演1981年3月までだが、その後レポーター報道センター担当として番組への出演続け最終回当時司会トリオである小川陣内・頼近とともに司会進行担当した)。 本間上述露木同様にレポーター兼任の形で司会陣に参加露木本間何れか一方小川パートナー担当し、もう一方中継レポーター担当する形で番組出演)。 三上前任女性アシスタント浜美枝降板回である1976年6月4日放送分より出演当日司会引継ぎ兼ねて小川・露木・浜・三上の4人で司会進行担当した

※この「総合司会・パートナー司会」の解説は、「小川宏ショー」の解説の一部です。
「総合司会・パートナー司会」を含む「小川宏ショー」の記事については、「小川宏ショー」の概要を参照ください。

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