綿津見神宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 08:17 UTC 版)
「わたつみのかみのみや」とよむ。わたつみは「海の神霊」の意味で、海宮また海神宮、海童宮 とも書かれ「わたつみのみや」とも称される。『古事記』や『日本書紀』 にみられる海神の住んで居る宮殿の名称。記紀神話や寺社関係の文書類において記されるが、宮殿の描写などには中国文化を通じて摂取された龍宮の影響が色濃く強くみられる。 山幸彦と海幸彦海神(わたつみ)が住む宮殿として登場。山幸彦(彦火火出見尊)が失くしてしまった兄の釣り針を探しに向かう行先として登場する。無間勝間之小船(まなしかつまのおぶね)が移動手段として用いられる(『古事記』上巻、『日本書紀』巻第2、『彦火火出見尊絵巻』)。 行先については中世から近世にかけて「龍宮」や「龍宮城」という名前で称されることが一般的になっており、『若狭彦若狭姫大明神秘密縁起』 といった寺社縁起や、吉田兼倶による『日本書紀』の解説(龍宮・龍王 の呼称が用いられている)、物語や和歌の注釈書、都の錦『風流神代巻』(1702年)などの大衆的な版本にもそのような表現が広くみられる。 浦島太郎に登場する『万葉集』における浦島太郎のことをうたった歌のなかでも、龍宮が海若神之宮(わたつみのかみのみや)と表現されている箇所もある。いっぽうで、12世紀に原本がつくられたとされる『彦火火出見尊絵巻』では「海の神」について「龍王」 という表現を用いており龍宮と海宮が早い段階から同一の存在としてあつかわれていたことが考えられる。日本各地で水の中の世界を「龍宮」と称する呼び方が多用されているのも、その延長線上にある。
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