経師からの分業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 03:43 UTC 版)
鎌倉時代にはいって書院造りが普及してから、「唐紙師(からかみし)」という襖紙の専門家があらわれ、表具師(布や紙を具地に貼る)は分業化され、その名を引き継いで経師ともいわれた。経師が木版摺りを行ったようである。経師とは、本来は経巻の書写をする人のことであり、経巻の表具も兼ねており、さらに唐紙を障子に張るようになって、襖の表具もするようになった。そして、「からかみ」の国産化に伴って木版を摺る絵付けまで守備範囲が拡大したようである。むろん当時の「から紙障子」は公家や高家の貴族の邸宅に限られており、需要そのものが少なく、専門職を必要とはしていなかった。 南北朝から室町初期に完成した『庭訓往来』には、「城下に招き居えべき輩」として多くの商人、職人の名を列挙しており、襖障子に関係するものとして唐紙師、経師、紙漉き、塗師、金銀細工師などが挙げられており、襖建具が分業化された職人を必要とするほどに、武士階級に相当普及していた事とが知れる。 唐紙師は、漉き上がったかみにさまざまな技法を用いて紋様絵付けを摺る職人のことである。職人衆の知行を記している『小田原衆所領役帳』には、永禄二年(1559)の奥書があり、職人頭の須藤惣左衛門の二九一貫に対して、唐紙師の長谷川藤兵衛は四十余の知行を受けていたことが記されている。明応9年(1500年)の『七十一番職人歌合』の唐紙師の図には、「 そら色のうす雲ひけどからかみの 下きららなる月のかげなり から紙師」とある。
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