素盞烏尊神社 (大阪市)とは? わかりやすく解説

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素盞烏尊神社 (大阪市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 09:55 UTC 版)

素盞烏尊神社

拝殿
所在地

大阪府大阪市北区大淀南3丁目3-25

位置 北緯34度42分2.9秒 東経135度28分59.8秒 / 北緯34.700806度 東経135.483278度 / 34.700806; 135.483278 (素盞烏尊神社 (大阪市))座標: 北緯34度42分2.9秒 東経135度28分59.8秒 / 北緯34.700806度 東経135.483278度 / 34.700806; 135.483278 (素盞烏尊神社 (大阪市))
主祭神 素盞烏尊 
社格 旧村社
別名 八坂神社
牛頭天王社
祇園社
例祭 7月18日(夏祭)・10月18日(秋祭)
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素盞烏尊神社(すさのおのみことじんじゃ)は大阪市北区大淀南に鎮座する神社。通称は八坂神社

祭神

歴史

  • 創建年代不詳ながら牛頭天王社・祇園社と呼ばれた浦江の氏神。
  • 明治50年(1987年) – 素盞烏尊神社に改め、村社に列す。
  • 明治41年(1908年)12月12日 – 西里中の八幡神社、江川の野々宮、宮の前の斎宮社を合祀。
  • 明治42年(1909年)6月 – 神饌幣帛料供進社に指定される。
  • 明治45年(1912年)7月25日 – 東殿の和邇社を合祀。
  • 昭和20年(1945年) – 大阪大空襲で焼失。
  • 昭和52年(1977年)4月16日 – 再建。

境内

  • 王仁社 王仁臣
  • 八幡社 応神天皇
  • 斎宮社 飯豊受皇女神
  • 野々宮社 飯豊受皇大神

王仁社に関し、『摂津名所図会』では「犬江殿古蹟(おほえどのこせき)難波旧図、田蓑島にあり。この所斎宮女御御楔の地、今大仁村の北端に古松一株あり。その下に石造の宮の屋根なるもの見ゆる。余は土中に埋もれたり。これ、祓除の地の古称なるか。」と記述し、『摂津名所図会大成』では「大古墳」とある。

一本松大明神・正一位稲荷大明神・王仁大明神と呼ばれ、王仁の墓との伝承があるが、 井上正雄は大仁の和邇部が誤って伝わった[1]とし、 三善貞司は大化2年(646年)に孝徳天皇が制定した大仁墓のことか[2]と、いずれも否定的である。

交通アクセス

関連項目

出典

  1. ^ 井上正雄 「大阪府全志」 (1922)全国書誌番号:73012615
  2. ^ 三善貞司「大阪史蹟辞典」(1986)全国書誌番号: 86050775

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