紙史的価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 17:44 UTC 版)
「後醍醐天皇宸翰天長印信(ろう牋)」の記事における「紙史的価値」の解説
本作品の料紙は、紙史研究上でも興味深い例である。 中国の竹紙は、宋代(960年 - 1279年)に出版業が盛んになったことに伴い、竹の産地である福建で多く作られた。しかし、竹紙の製造には高度な技術を要することから初期は粗悪なものが多く、長期保存に向かないとして宋代には公文書での使用は疎んじられた。その後の技術向上により、明代(1368年 - 1644年)後期に入って、ようやく皇帝下達文書以外の官文書に広く用いられるようになった。しかし、一部に高級紙として扱われた竹紙は無い訳ではないものの、通常の竹紙は大量生産の粗悪品と見なされ、紙類の中では最も劣ったものであると考えられていた。清代(1644年 - 1912年)の中国には普通紙程度の地位にはなったが、最後まで楮紙の評価を越えることはなかった。 ところが、日本では、舶来品を珍重する傾向から、楮紙よりも竹紙が高級紙として扱われるという地位の逆転が起きた。その代表例の一つが本作品である。竹紙は、当時の中華皇帝からすれば周辺国に輸出しても問題ない程度の格式の紙だったのだが、日本では製造技術がなく、また文様の透かしが入れられた装飾性の高い加工紙という点で、稀少価値が高かったのである。この価値観は近世にも引き継がれた。李氏朝鮮の真正の国書は楮紙に書かれたにも関わらず、日本では舶来品といえば竹紙という先入観があったことから、対馬藩が偽造した朝鮮国書は竹紙で(もしくは竹紙と楮紙の貼り合わせで)作られた。
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