紅軍への対処とは? わかりやすく解説

紅軍への対処

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:46 UTC 版)

孫渡」の記事における「紅軍への対処」の解説

1930年民国19年5月蔣介石支持する竜雲の命により、孫渡盧漢配下国民革命軍98第3旅旅長に任命され、反蔣介石派の拠点広西省向けて出撃した。しかし、省会省都南寧攻略できず、新広西派反撃受けたため、雲南軍は翌年2月までに撤退している。 翌月孫渡竜雲により雲南参謀長抜擢された。そして竜に雲南軍の軍縮再編(「廃師改旅」)を進言し、これを実行する。しかしそのやり方極めて拙速で、盧漢師長たちの権限剥奪加え削減した兵士たちへの給与糧食を全く保障しないものであった。そのため盧は、不満を抱いた他の師長兵士の声に応じる形で竜に対して兵変を起こし、孫を上海へ追放したのである結局、盧はまもなく竜に降伏したため、孫は雲南引き返して参謀長地位返り咲いた1934年民国23年12月紅軍長征により貴州省に至る。このとき、竜雲蔣介石から剿匪第2路軍総司令に、孫渡第3縦隊司令それぞれ任ぜられ、紅軍迎撃することになった。しかし孫は、蔣が雲南軍を紅軍との戦いで消耗させようとしている意図抱いていることを見抜き戦闘限定的にして、紅軍を省外へ出させることを優先するよう竜に進言する。竜もこれを受け入れ、孫を第2路軍総指揮部行営主任として、事実上対策一任した。孫はその期待応え紅軍とは何度交戦しながらも、大規模な衝突回避し雲南軍の損害最小限とどめることに成功している。

※この「紅軍への対処」の解説は、「孫渡」の解説の一部です。
「紅軍への対処」を含む「孫渡」の記事については、「孫渡」の概要を参照ください。

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