紅軍に参加するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:40 UTC 版)
広西省臨桂県(現・広西チワン族自治区桂林市臨桂区)六塘圩高陂寨の貧しい農民家庭に生まれる。二年間私塾で学んだ後、8歳の時から家業を手伝い始めた。1926年、家族は逃散して竜勝県に移り、薪を拾い炭を焼いて日々の生計を立てた。1928年初め、桂林に駐屯する李明瑞の広西国民党軍第7師独立団が募兵を行ったので、まだ14歳の李天佑も同郷の青年らとともにこれに応募。1929年、設立されたばかりの広西南寧教導総隊で学び、隊内の共産党に影響された。同年10月17日、張雲逸に率いられた教導総隊は南寧から右江に沿って百色に赴き、叛乱を起こす(百色起義)。叛乱部隊は中共中央に承認されて中国工農紅軍第7軍となり、張雲逸が軍長、李明瑞が総指揮、鄧小平が軍政治委員・前敵委員会書記を兼ねた。李天佑はこの時中国共産党に入党し、紅7軍の排長(小隊長)を務める。
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