系図・伝承上の児玉氏祖とは? わかりやすく解説

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系図・伝承上の児玉氏祖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/01/14 21:08 UTC 版)

児玉遠岩」の記事における「系図・伝承上の児玉氏祖」の解説

萩藩伝書児玉広高家所の『児玉系図略図』等に記載されている児玉氏祖。系図上では、児玉党祖である児玉惟行(この系図では、従五位下河内守とある)の父として記述されているが、武蔵国児玉郡での伝承通し字の観点から惟行の父は有道惟能研究者の間では考えられている。したがって児玉大夫遠岩なる人物系図上にのみ存在する児玉氏祖であり、実在しなかった人物と見られる。この系図では、児玉氏の姓を藤原としている事からも、14世紀中頃以後作られたものと分かるまた、惟行の嫡男である児玉弘行児玉党本宗2代目)庄氏名乗ったと言う誤伝承もあり、庄氏流れ至っては全く信用性がない系図である。 実質的な児玉氏祖である惟行の没した月日8月7日である事から、これらの没年月日創作されたものと見られる(惟行の没年月日創作され可能性出てくる)。また、系図上の子息とされる惟行の没年延久元年69歳没したとされる事からも年齢に関して矛盾生じてくる(惟行を基に創作した為か)。この事からも遠岩は西日本児玉氏自分達の系図作る過程創作した人物と見られる。さらに児玉郡河内庄と言う庄名は惟行より後の代によってつけられたものであり、遵って、惟行やその父が河内守称している事はおかしい。系図中には惟行が河内守称した記しているが、信憑性高くない。なお、『武蔵七党系図』では、惟行の父は藤原伊周となっており、惟行は藤原伊行同一視されているが、これも後世の創作考えられている。 児玉遠岩創作され理由として、惟行の真の父である有道維能が従六位上であり、貴族ではなかった事が挙げられる。維能は伊周に仕えていた家令であり、官人であったが、貴族ではない。その為、後世児玉氏先祖氏祖)の威厳高める為、位の高い人物創作した考えられ、それが遠岩だったと考えられる

※この「系図・伝承上の児玉氏祖」の解説は、「児玉遠岩」の解説の一部です。
「系図・伝承上の児玉氏祖」を含む「児玉遠岩」の記事については、「児玉遠岩」の概要を参照ください。

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