系図上での位置についての論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 22:35 UTC 版)
「大崎持兼」の記事における「系図上での位置についての論争」の解説
大崎持詮と同一人物とする説 大崎持詮の別名を持兼とするもの。この場合、持詮の子とされる教兼が「兼」の字を使用していることを考慮すると、改名後の諱ということになる。 大崎教兼と同一人物とする説' 父は、斯波満持の嫡子・定詮(のち持詮)。初めは4代将軍足利義持から偏諱を賜って持兼、のちに6代将軍足利義教(義持の実弟)から重ねて偏諱を賜り教兼に改名したとする。 上記2つのいずれでもなく「大崎持兼」という一人の人物がいたとする説 大崎持詮の子を持兼、さらにその子を教兼とする。大崎教兼と同一人物説(2つ目)は年代的に考慮してこれを否定する説である。
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