粛清・帰国後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:30 UTC 版)
1937年8月、スターリンによる粛清が本格化したことで、土方は妻、佐野碩とともに国外追放処分を受け、モスクワからパリに亡命移住する。この間、日本国内では1940年8月、劇団員のほとんどが検挙され新築地劇団は解散。劇場は11月1日には国民新劇場と改称された。1941年、土方は逮捕覚悟で帰国。直ちに治安維持法違反で検挙され、5年の実刑を受け豊多摩刑務所に収監された。 1945年10月8日、連合国軍最高司令官総司令部の命令に基づく全政治犯の釈放にあたり、土方も宮城刑務所を出所。妻や長男らに出迎えられ、栃木県西那須野にあった土方農園で静養に当たった。 その後、日本共産党に入党。前進座や舞台芸術学院で演劇活動を再開。スタニスラフスキーのスタニスラフスキー・システムを、日本の演劇界に導入することにも熱心であった。
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