粉河産土神社とは? わかりやすく解説

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粉河産土神社

読み方:コカワウブスナジンジャ(kokawaubusunajinja)

別名 たのもしのみや

教団 神社本庁

所在 和歌山県那賀郡粉河町

祭神 丹生津比売尊 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

粉河産土神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 19:14 UTC 版)

粉河産土神社
所在地

和歌山県紀の川市粉河2788

位置 北緯34度16分53.1秒 東経135度24分20.2秒 / 北緯34.281417度 東経135.405611度 / 34.281417; 135.405611 (粉河産土神社)座標: 北緯34度16分53.1秒 東経135度24分20.2秒 / 北緯34.281417度 東経135.405611度 / 34.281417; 135.405611 (粉河産土神社)
主祭神 丹生津比賣命、天忍穂耳命
創建 延暦2年(783年
本殿の様式 春日造
例祭 7月最終の土曜日・日曜日
主な神事 粉河祭り
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粉河産土神社(こかわうぶすなじんじゃ)は、和歌山県紀の川市粉河にある神社粉河寺の境内にある。地元では別称として「たのもしの宮」(頼母子之宮)とも呼ばれる。

歴史

宝亀元年(770年)に紀伊国の猟師・大伴孔子古が粉河寺を創建し、次いでその子の大伴船主が延暦2年(783年)に鎌垣庄内各村の氏神を勧請して粉河寺の鎮守社として社を建立した、それが当社の始まりであるという。

天正13年(1585年)に羽柴秀吉による紀州征伐にあい、粉河寺とともに全焼している。

粉河寺の本堂のすぐ奥にある鎮守社として、江戸時代には紀州藩徳川家の崇敬を受けていたが、明治時代の神仏分離によって粉河寺から独立している。

1912年大正元年)、旧長田村松井の丹生神社を合祀、同年粉河町東毛の大神社も合祀している。1919年(大正8年)には粉河町粉河天福神社も合祀している。

当社の祭りである粉河祭りは紀州三大祭の一つである。

1959年昭和34年)、裏山より経塚が出土している。

祭神

  • 主祭神 - 第一殿:丹生津比賣命、第二殿:天忍穂耳命
  • 配祀神 - 大伴孔子古命、大伴船主命

境内

  • 本殿第一殿(丹生大明神社、紀の川市指定有形文化財) - 元禄年間から宝永年間(1688年 - 1711年)再建。
  • 本殿第二殿(若一王子社、紀の川市指定有形文化財) - 元禄年間から宝永年間(1688年 - 1711年)再建。
  • 拝殿
  • 儀式殿
  • 社務所
  • おんどり石
  • 神輿庫

摂・末社

文化財

和歌山県指定無形民俗文化財

  • 粉河祭り渡御式(粉河祭保存会)

紀の川市指定有形文化財

  • 粉河産土神社本殿 2棟
  • 天福社本殿

祭事

  • 粉河祭り

交通アクセス

参考文献

  • 粉河産土神社由来

外部リンク



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