米河内の馬頭観音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:06 UTC 版)
「大沼街道 (愛知県)」の記事における「米河内の馬頭観音」の解説
大沼街道が県道として改修される以前、米河内下一本松辺りは、急峻な坂道を下って50メートル右に曲がる道路構造であったため、運送車が速度と荷重で牛馬ごと青木川の瀑布下に転落する事故が発生しやすかった。こうした度重なる遭難の牛馬を憐れみ、また御者の安全と、滝町・米河内町の地境道標を兼ねて馬頭観音が祀られた。 昭和初期に牛馬車運送組合は繁盛し、畔柳千代松が組合長であった時代には、組合員数人で観音講を設けて年々のお祭りと堂守りをしていた。 その後、時代の流れとともに牛馬車運送は衰退。この地で谷川丑松が石材採掘を始めると、馬頭観音のお祭りも彼らが引き継いで行った。その後、畔柳寛次が跡地を資材置場として使用するに及んで、交通安全、家内安全、動物愛護の志をもって当馬頭観音を崇敬して祭る。 平成に入り、県道拡張工事に伴って現在の地に馬頭観音が移転。今も昔も、米河内の馬頭観音はお供えの生花が絶えることがない。
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