籠城と投降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 02:09 UTC 版)
「アルメニア議会銃撃事件」の記事における「籠城と投降」の解説
事件直後から、議会ビルの面するバグラミャン大通り (en) には数百名の警察官と兵士、そして2両の装甲兵員輸送車が配備された。救急隊が現場に急行し、大統領のロベルト・コチャリャンも周辺の治安部隊の指揮を執った。ロシアから派遣されたテロ対策部隊も現地に投入された。襲撃者らはビル内に50人の人質を取って立て籠もり、ヘリコプターの調達と国営放送での政治声明の放送を要求した。 コチャリャンはテレビ放送で、当局は事態を掌握していると語った。スポークスマンも早い段階で、事件をごく小さなグループによるほぼ個人的なテロと位置付け、その対象も議会ビルのみに留まっていると述べた。コチャリャンと襲撃者らの間で交渉が行われ、コチャリャンは彼らの身の安全と公正な裁判を受ける権利を保障した。そして事件から17、8時間が経過した 翌28日の朝、襲撃者らは人質を解放し投降した。 28日から、コチャリャンは3日間の服喪を宣言した。犠牲者たちの葬儀は、30日と31日に国葬で営まれ、彼らの遺体はエレバン・オペラ劇場(アルメニア語版)に安置された。葬儀には、ロシア首相のウラジーミル・プーチンやグルジア大統領のエドゥアルド・シェワルナゼを含めた30か国からの高官が参列し、全アルメニアのカトリコス(アルメニア語版)であるガレギン2世とキリキア聖座(英語版)のアラム1世(英語版)により犠牲者たちに祈りが捧げられた。
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