箱訴の吟味開始と郡上の情勢
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「郡上一揆」の記事における「箱訴の吟味開始と郡上の情勢」の解説
宝暦8年4月11日(1758年5月17日)に行われた2度目の箱訴が受理されたことによって、改めて郡上一揆についての吟味が開始された。吟味は宝暦8年(1758年)の4月末から6月にかけて、まず6名の箱訴人を奉行所に呼び出し、訴状の内容等について確認する方式で進められ、吟味の内容は吟味書にまとめられた。 箱訴が受理され吟味が開始されたものの、一揆勢は資金不足に悩んでいた。これまで一揆勢は多くの資金を分担して集めていたが、前年の宝暦7年(1757年)は凶作であり、しかも一揆の影響もあって収穫が減り、多くの農民が困窮したため、集めた資金の一部を貸し出していた。しかし長引くばかりの江戸での裁判は多くの費用がかかり、宝暦8年(1758年)5月の段階で資金がほぼ底をついた。また江戸での裁判の再開という事態の中、郡上と江戸との連絡調整を担う関寄合所の人員も不足していた。資金調達は思うように捗らず、裁判を抱えた江戸の一揆勢の資金不足は更に深刻化したため、やむなく困窮していた農民に貸し出した金の取り立てを行うことにしたが、明方筋、下川筋からは入用金の取り立てが厳しいとの声が挙がった。 このような情勢下、郡上郡内では一揆勢に対する不満が高まり、明方筋の下津原村が立村から脱落し寝村となるなど、一揆勢からの脱落が見られるようになった。一揆が始まってから既に4年近く、駕籠訴からも2年以上が経過していたが、事態の進展が見えない中、評定所での本格的な吟味開始直前には資金、人材不足そして一揆勢からの離脱が見られるなど、一揆勢は困難に直面していた。
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