第3留 -最初に倒れた場所-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 06:09 UTC 版)
「ヴィア・ドロローサ」の記事における「第3留 -最初に倒れた場所-」の解説
ライオン門からはじまるヴィア・ドロローサはライオン門通りを西へと伸びてエッケ・ホモ・アーチを潜った後、エル・ワド通りと交わる角で南へと向きを変える(左折する)。エル・ワド通りは神殿の丘とシオン山に挟まれた谷底に相当し、フラウィウス・ヨセフスの文献では「チロペオン」と名付けられている。また、アエリア・カピトリーナの建造に際しては、都市計画のカルド(南北の軸=メインロード)に次ぐ二番目の大通りに位置づけられていた。第3留はイエスが最初に倒れたとされる場所に設けられているのだが、それは13世紀以降に誕生した伝承に由来しており、福音書にはイエスが路上で倒れ込む描写はない。 第3留の場所にはかつてトルコ式公衆浴場の入り口があった。その浴場は大規模なもので敷地内には第4留もが含まれていたのだが、18世紀の半ばに閉鎖されている。 この場所にアルメニア使徒教会の教会が建てられたのは1856年のことで、1947年から翌年にかけて、パレスティナに滞在していたポーランド兵の寄付によって修繕がなされた。この教会はおよそ二十五年間、劣化を防ぐために使用が控えられていたのだが、修繕を機に再び本来の機能を果たすようになった。 教会が建造される前までは、同地に横倒しになっていた二本の石柱を留の目印にしていた。その破片は現在、教会内の手すりの支柱に転用されている。教会の正面と礼拝堂には十字架を背負って倒れこむイエスのモニュメントが置かれている。また、教会内部には各時代の考古学的な資料を集めた博物館も併設されている。
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