第3回大会〜第4回大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:28 UTC 版)
山田は、スパイダーウォークは体重が重い選手には不利だと判断し、約3カ月後の第3回大会に向け、15kgの減量を始めた(80kgから65kg)。山田は当時の状況について、「ボクサーのように食べ物とか、水分摂取を制限しました。お腹がすき過ぎて寝られなかったですし、あそこまで体重を落とすと精神的にも不安定になるんですよ。でも、できる限りのことをやって臨もうと思ったので、もっと練習しよう、もっと体重を落とそう。そんな感じでした」と振り返っている。 あまりにも急激な減量に、家族をはじめとする周囲の人達は山田を本気で心配し、病院に行くことを勧める者や、癌を疑う者までいたと語っている。 本大会では1stを9.4秒残して突破。2ndウォールリフティングでは3枚目の壁を最上段まで持ち上げ、その後片手で支えた後にゴールまでゆっくりと歩み寄るという姿を見せた。 3rdは、初挑戦のパイプスライダーも突破し、FINALステージに進出。5m地点まで一切足を使わずに登るも、残り約30cmでタイムアップ。挑戦後のインタビューでは「腕で一気に登りたかったのですが、ペースが掴めないままで…最初から足を使ってたほうが良かったかもしれないですね」と語り、実況の古舘に「なんでそこまで頑張れるのか?何かを確かめたいのか」という問いに対して「負けたくないっていう…ただそれだけです」と涙して語った(ゼッケン89)。 山田は今大会について「あのときは完全制覇まで行くつもりだったので、体重は軽いままにしようと朝から水分しか摂らなかったんです。それでもう深夜だったファイナルのころには空腹に加えて集中力も欠けてきていました。極端な減量がたたった部分もあるのでしょう。最後は力があまり入りませんでした。でも、手応えはありましたし、あれで心に火が点いた感じです」と振り返っている。 第4回大会はゼッケン100番となり、初めて両親を会場へ呼び寄せた。今回は8kg体重を増やしての挑戦となった。2ndウォールリフティングでは前回と同様のパフォーマンスを見せた。2ndは3枚目の壁を上げた時点で10秒残っていた。 続く3rdプロペラうんていでタイミングが合わず、1本目から2本目への移動で2度失敗。さらに3本目への移動でも1度失敗。その後、新設されたクリフハンガーの2個目の空白で脱落した。 同大会では『クイックマッスル全国選手権』からのライバルであった秋山和彦が完全制覇を達成。完全制覇した秋山を3rdの沼地に投げ入れ、山田自らも沼の中に飛び込み、秋山の完全制覇を祝福した。
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