ジャクソン・カビガとは? わかりやすく解説

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ジャクソン・カビガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/03 04:12 UTC 版)

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ジャクソン・カビガJackson Kabiga1976年12月1日-)は、ケニアマラソン選手。177cm、59kg。

来歴

8人兄弟の7番目だったカビガは3歳で父を亡くし、母はコーヒー栽培の重労働に従事していた。高校時代はボクシング部に所属していた。マラソンとの関わりは、ボクシングの練習のために長距離走を始めたことからである。ケニア国内で開催されたハーフマラソンに参加したところ優勝を果たし、この大会の主催者が日本人であったことから、日本と関わりを持つ。1994年金沢市で開かれたロードレースに参加、その後ホノルルマラソンにも出場した。転換点となったのは、ボストンマラソンで3連覇を果たしたコスマス・デティの練習パートナーに選ばれたことである[1]1998年になり、パリマラソンで優勝。同年の福岡国際マラソンでは10kmすぎに集団から抜け出して一人旅、38kmで佐藤信之に並ばれたが再スパートして突き放し優勝を果たした[2]。しかし「2時間8分を切れなかったのは不満だ[3]」と述べた。1999年から始まった長野オリンピック記念長野マラソンの第1回大会に招待され優勝。長野マラソンは第3回大会、第4回大会にも招待されている。2000年ベルリンマラソンでも3位に入り、1990年代後半から2000年代前半にかけて好成績を記録した。

主な成績

  • 1998年 - パリマラソン(2時間9分37秒、優勝)
  • 1998年 - 福岡国際マラソン(2時間8分42秒、優勝)
  • 1999年 - 長野マラソン(2時間13分26秒、優勝)
  • 2000年 - ベルリンマラソン(2時間9分52秒、3位)

出典

  1. ^ 朝日新聞東京本社版、1998年12月7日付朝刊3面
  2. ^ 朝日新聞東京本社版1998年12月7日付朝刊18面
  3. ^ 福岡国際マラソンプレーバック

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