第2次ボーア戦争終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「第2次ボーア戦争終結」の解説
母の治世末の1899年10月から南アフリカではじまった第2次ボーア戦争は、ゲリラ戦争と化していた。ボーア人の家屋・農場はイギリス軍の焦土作戦で焼き払われ、焼け出された婦女子は強制収容所に入れられた。これによりボーア人ゲリラは補給が困難となり、また黒人先住民に背後から襲撃される危険も高まってきたため、ついにイギリスと和解する決意を固めた。ケープ植民地高等弁務官アルフレッド・ミルナーをはじめとする大英帝国側も戦費が底をついているうえ、現地の白人勢力を早期に一つにまとめて黒人先住民を支配下に置く必要性を痛感していたのでボーア人側との交渉・譲歩に応じた。 その結果、1902年5月にフェレーニヒンフ条約が締結されて終戦し、南アフリカは大英帝国に併合された(トランスヴァール植民地(英語版))。その後、自由党政権になると自治権を付与する改革が目指され、1906年12月にエドワードの勅許状によってトランスヴァール植民地は自治権を付与された。
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