第2期のメンバー編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/21 04:36 UTC 版)
「クッキーズ (アメリカ合衆国の女性グループ)」の記事における「第2期のメンバー編成」の解説
1961年、ドロシー・ジョーンズに加え、新たにアール=ジーン・マクレア ("Earl-Jean" McCrea)(ダーリンの妹)とドロシーの(ロバートソンとは別の)従姉妹マーガレット・ロス (Margaret Ross) が参加した、新たな編成のクッキーズがニューヨークで結成された。ドロシー・ジョーンズは、1961年に、1回だけソロとしてもコロムビアでレコーディングした。3人のグループはクッキーズ名義のまま、他のミュージシャンのバックを務めて大きな成功を収め、ニール・セダカのヒット曲「悲しき慕情 (Breaking Up is Hard to Do)」、「ドリーマー (The Dreamer)」、「悲しいあの娘 (Bad Girl)」のレコーディングに参加し、キャロル・キングとジェリー・ゴフィン (Gerry Goffin) がディレクターとなってアルドン・ミュージック (Aldon Music) のためにデモ音源をレコーディングした。クッキーズは、リトル・エヴァ (Little Eva) の1962年のヒット曲「ロコ・モーション」や、それに続いた「レッツ・ターキー・トロット (Let's Turkey Trot)」のバックアップ・ボーカルを務めた。グループ自身の最大のヒット曲は、1963年の「Don't Say Nothin' Bad (About My Baby)」で、『ビルボード』誌のR&Bチャートで最高3位、ポップ・チャートで最高7位にまで上昇した。 1962年のヒット曲「チェインズ」は、後にビートルズがレコーディングした。アール=ジーン・マクレアは、グループ在籍中に、ゲフィン/キング作品の曲「I'm Into Something Good」の初録音を含め、ソロ・シングルを2作発表した後、1965年にグループから脱退した。 クッキーズは、しばしば別のグループ名を用い、ほとんどの場合はマーガレット・ロスをリード・ボーカルに立てて、(様々なレーベルで)レコーディングを行なった。この変名による録音には、ザ・パラダイス (The Palisades)(Chairman)、ザ・ステッピング・ストーンズ (The Stepping Stones)(フィリップス)、ザ・シンデレラズ (The Cinderellas) (Dimension Records)、ザ・ハニー・ビーズ (The Honey Bees)(Fontana 1939 のみ)などがある。 1967年4月、クッキーズは、トークンズ (The Tokens) のプロデュースの下で、最後のレコードを録音した。このレコーディングには、アール=ジーン・マクレアに代わって姉のダーリーン・マクレアが復帰した。 ドロシー・ジョーンズは、2010年のクリスマスの日(12月25日)に、オハイオ州コロンバスでアルツハイマー型認知症の合併症によって、76歳で死去した。 マーガレット・ロスは、その後、名をマーガレット・ウィリアムズ (Margaret Williams) と改め、新たなバックアップ・シンガーとグループを作り、この新たな編成のグループで、クッキーズとして今も各地をツアーしている。ロスはまた、時おりバーバラ・ハリス・アンド・ザ・トイズ (Barbara Harris and The Toys) とも共演している。
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