第12回・第13回公判
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「みどり荘事件」の記事における「第12回・第13回公判」の解説
被告人尋問が行われる第12回公判の前日の1983年(昭和58年)3月9日、打合わせのために接見した古田弁護士に対して、輿掛は「実は、事件のあった時間は寝ていて、隣の部屋にいた記憶はない」と、これまでの「隣の部屋にいたことは覚えている」という供述とは異なる話を始めた。古田弁護士としては半信半疑ではあったが、輿掛が強く主張するため、そこまで言うのであればと公判ではその通り話させることにした。しかし、当時、徳田弁護士は医療事故に関する訴訟を複数抱えて多忙であったため、古田弁護士は、このような弁護方針の大幅な変更について徳田弁護士と打ち合わせをする時間も取れないまま公判を迎えることとなった。 3月10日の第12回公判では、古田弁護士が質問に立ち、輿掛の逮捕された時の状況から不利益供述に至るまでの経緯を質していった。そして古田弁護士の「酒を飲んでいて眠ってしまって事件の時間帯の自分の記憶はないというのが本当のところなんですね」という最後の質問に対して、輿掛ははっきりと「はい」と答えた。裁判長は驚いたように顔を上げたが、この回答に驚いたのは徳田弁護士も同じであった。輿掛に隣の部屋にいたという記憶はあるということは、イソミタール面接での供述を軸に無罪を求めるという弁護方針の大前提であったことに加えて、第1回・第2回公判で輿掛自身が裁判長に対しても認めたことであり、ここで急に供述が変わることは裁判官に不信感を抱かせることになるのではないかと徳田弁護士は怖れた。 徳田弁護士は、古田弁護士の質問が終わったあとに裁判長から「何かありませんか」と促されて質問に立った。裁判官に弁護団内の不一致を悟られないよう別の質問から入り、そのあとでさりげなく話を移して「この裁判の一番初めにも言ったように、あなたが覚えている範囲では、気がついたら隣の部屋にいて、自分の足元に女の人が横たわっていたということは覚えていたわけですね」と質問した。輿掛はしばし返答をためらったあとに、小さく「はい」と答えた。徳田弁護士は畳み掛けるように「そうですね」と確認したが、輿掛はゆっくりと頷いただけだった。徳田弁護士はさらに「隣の部屋に立っていたという、そこは覚えていたわけでしょう」と問いつめたが、輿掛の返答は「はっきりわからんかったです」であった。この回答に徳田弁護士は慌てて「この法廷でも認めているから、そういう記憶はあったわけでしょう」と声を荒らげて質問し、輿掛も「はい」と答えた。このやりとりで、徳田弁護士としては何とかイソミタール面接での供述に戻した形となった。 同年4月21日の第13回公判は、輿掛に対する検察側の反対尋問であったが、多忙の徳田弁護士が古田弁護士や輿掛と打合わせできたのは、公判直前の裁判所内でのわずか15分だけであった。その場も「記憶の通りに話せばいい」とありきたりなアドバイスを与えただけで終わった。第13回公判では、検察側は当然輿掛の供述の変遷を追及したが、輿掛は第13回公判でははっきりと「隣の部屋にいた記憶はない」と不利益供述を完全に撤回し、以降、一貫して無実を主張するようになる。弁護団としても、これ以降、捜査段階から公判初期の輿掛の不利益供述は「偽計による虚偽自白」であるとして無罪を求める弁護方針に転換した。これに対して、検察側は直ちに取り調べにあたったT・H両警部補を証人として申請した。
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