第二次遠征まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 15:54 UTC 版)
「第一次セバーヨス遠征」の記事における「第二次遠征まで」の解説
詳細は「スペイン・ポルトガル戦争 (1776年-1777年)」を参照 パリ条約に署名したスペインはコロニア・デル・サクラメントをポルトガルに返還したが、リオグランデ・ド・スルは返還しなかった。 このようにして、スペインとポルトガルは1763年以降「静かなる戦争」と呼ばれる宣戦布告なき戦争に突入した。同年にポルトガル政府がリオグランデで非正規な戦闘を行う秘密命令を下したためであった。この紛争は1777年まで続き、第二次セバーヨス遠征が成功したことで両国は第一次サン・イルデフォンソ条約の調印に踏み切った。 戦争の結果はポルトガルが1776年にブラジル南部のリオグランデ・ド・スル(282,000平方キロメートル)と北部のロライマ(224,000平方キロメートル)を征服し、1777年にスペイン船サン・アウグスティンを軍勢550とともに拿捕した一方、スペインのコロニア・デル・サクラメント(ウルグアイにある、半径3キロメートルの半円)とブラジル南部のサンタ・カタリナ島(英語版)(424平方キロメートル)の征服を確定させた。コロニア・デル・サクラメントとサンタ・カタリナ島の征服は両方とも1777年の第二次セバーヨス遠征によるものだった。
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