第九五一海軍航空隊の発足
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「佐世保海軍航空隊」の記事における「第九五一海軍航空隊の発足」の解説
昭和19年12月15日をもって、日本各地で対潜哨戒を担当していた航空隊は、西日本の九五一空と東日本の第九〇三海軍航空隊に集約されることとなった。佐空とともに編入されたのは、以下の航空隊である。九五一・九〇三空と第九〇一海軍航空隊の3個隊は、大量の哨戒機と広大な哨戒区域をカバーすることから、例外的に「司令官」が配置された。 舞鶴海軍航空隊 舞鶴鎮守府隷下の航空隊で、太平洋戦争時は串本・沖縄・旅順など各地の哨戒航空隊を増援することが多かった。『日本海軍航空史』など多くの文献では、九五一空編入をもって解散と記述されているが、『戦史叢書』など一部の文献では、九五一空には編入されず、舞鶴鎮守府直卒の飛行隊に降格したと記述されている。 鎮海海軍航空隊 鎮海警備府隷下の航空隊で、哨戒航空隊としては数少ない艦上攻撃機部隊でもあったことから、沖縄方面に派遣されて中距離哨戒に従事することが多かった。 沖縄海軍航空隊 沖縄の小禄飛行場をはじめ南西諸島各地に展開した部隊。定数表や隊員名簿などの資料がないため建制上の航空隊であったかどうか疑問視されているが、海軍辞令公報では人事の発令が実際に行われている ほか、昭和20年6月15日に沖縄で撮影された尾翼記号「オキ」の九七式艦上攻撃機の尾翼写真が存在する。 第四五三海軍航空隊 指宿水上機基地に駐留する部隊で、連合艦隊隷下で水上機搭乗員養成を担った宿毛海軍航空隊を実戦化したもの。当時最先端の磁気探知機を導入した数少ない精鋭部隊であった。 第二五六海軍航空隊 上海基地に駐留する戦闘機・攻撃機の混成隊で、編制当初より上海の防空とともに台湾海峡の哨戒・掃討を任務としていた。
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