第三遣支艦隊
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1937年(昭和17年)10月20日に新編された第四艦隊は、同日附で編制された支那方面艦隊の麾下におかれた。1939年(昭和14年)11月15日の改定によって第四艦隊は独立艦隊となり、従来の第四艦隊は第三遣支艦隊に改編・改称された。第三遣支艦隊は青島を拠点に、華北方面で行動した。改称した頃には水上艦作戦がすでに一段落していたため、水上兵力は水上機母艦瑞穂と水雷艇部隊で編成された第十二戦隊のみ。必要最小限に抑えられている。翌1940年(昭和15年)5月1日には瑞穂も連合艦隊附属となり、旗艦は海防艦磐手になった。一方の陸上戦力は青島方面特別根拠地隊が単独で山東半島の哨戒任務を担当している。 1941年(昭和16年)10月15日には、建造中の大和型戦艦大和副長だった黛治夫大佐が第三遣支艦隊参謀に任命され、黛は「青島艦隊に配備された」と嘆いたという。1942年(昭和17年)1月15日、南方攻略作戦に必要な陸戦隊を捻出するため、青島方面特別根拠地隊は青島警備隊に降格となった。第三遣支艦隊は同年4月10日をもって解散し、保有していた陸上戦力を集約して二代目の青島方面特別根拠地隊となった。青島特根も降伏調印までの全期間、山東方面各地で敢闘した。
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