第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 02:31 UTC 版)
「道徳の系譜」の記事における「第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか」の解説
この論文は、すでにニーチェが序文で自ら指摘した形式的な特徴をよく表している。というのも、結論となる見解を最初の段落で簡潔なアフォリズムの形式で呈示しておいて——仮構の読者からの抗議に従って——論文本体において、そのアフォリズムを正確に敷衍して完全な形で表現しているからである。 ニーチェは、禁欲主義的理想が、歴史の中や今日の社会の中で現れる際にまとってきたさまざまな形態、並びにその多様な目的を検討する(その中には、誤認された目的も実際の目的も含まれる)。ニーチェは、さまざまな人々——芸術家(リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』を例に)、哲学者(とりわけ、ショーペンハウアーの意志否定)、聖職者、ニーチェ自身が評価するところの「善人や義人」、聖人、そして現代において反-理想主義者と見誤られている人々、無神論者、科学者、批判的かつ反形而上学的な哲学者——における禁欲主義的理想の追求を解釈し評価する。そして、彼らの絶対的な「真理への意志」こそが、禁欲主義的理想の最後の純粋な形態であるとされる。そして、現代および将来のヨーロッパにおけるニヒリズムに関する考察に依拠して、ニーチェは、禁欲主義的理想がほとんど唯一の理想として尊崇されてきた究極の理由を示す。それは、つまるところ、より優れた理想がなかったからである。人間は「何も欲しない」ことができない。その結果、今日までの人間はむしろニヒリズムと禁欲において「無を欲し」てきたのである。
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