突撃歩兵部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:20 UTC 版)
第一次世界大戦のドイツ軍において、ロシア軍によるブルシーロフ攻勢で使用された戦術を取り入れた浸透戦術が導入され、塹壕陣地突破の切り札としてStoßtrupp(突撃歩兵)が組織された。 Stoßtrupp部隊は、長大化した塹壕陣地の脆弱点を攻撃して突破し、さらに敵陣の後方へ回りこんで司令部を衝いて指揮系統を断ち、敵陣を孤立状態に追い込んで崩壊させる事にあった。敵の第一線を越えて活動するため、任務が終了するまで補給も支援も受けられず、独自の状況判断と不屈の闘志が要求され、任務の成否に関わらず極めて死亡率が高い、現代の特殊部隊に相当する存在だった。 当初の装備としては、軽量ながら濃密な弾幕を形成して近距離の敵を圧倒できる新兵器である短機関銃のMP18が配備されたが、これに加えて手榴弾の投擲が非常に効果的である事が程なく判明して装備に追加された。かくしてStoßtrupp部隊は、手榴弾の打撃力と短機関銃による掃射能力を兼備した擲弾兵として、近代戦の戦場に出現した。 第一次世界大戦はドイツの敗北で終結したが、浸透戦術が各国軍で導入されるのに伴い、Stoßtrupp部隊のコンセプトは各国で模倣され、現代歩兵の原型となった。 MP18を持った独帝国軍Stoßtrupp部隊の兵士。1918年春、北フランスにて。 元Stoßtrupp部隊員のエルンスト・ユンガー。戦後に著した作品で自らが体験した戦闘を描写し、高い評価を受けた。 “ジャガイモ潰し器”と呼ばれた独軍のM24手榴弾。他国の手榴弾の倍近い170gのTNT爆薬が装填されている。
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