突撃砲兵の軍服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 22:14 UTC 版)
「軍服 (ドイツ国防軍陸軍)」の記事における「突撃砲兵の軍服」の解説
1930年代後半、突撃砲兵用の軍服が制定された。基本的に戦車兵の軍服と同型だったが、突撃砲兵は戦車兵より車外に出ることが多いため、黒色ではなくフィールドグレー色になっていた。 襟章にはドッペルリッツェンが使われることが多かったが、初めのうちは髑髏も使用された。しかし1943年1月に突撃砲兵は髑髏の襟章を使う事を禁止され、ドッペルリッツェンに統一された。しかし突撃砲兵のドッペルリッツェンの台布は戦車兵の髑髏の襟章に使われる平行四辺形の物であった。将官はラーリッシュ・シュティッケライの襟章を使用する。 襟章の周りに兵科色のパイピングが入っているのも戦車兵の襟章と同じであり、突撃砲兵には砲兵を示す赤が入っていた。しかし突撃砲兵の制服は新編成の装甲擲弾兵など他の部隊にも流用されたため、結果として様々な襟章や兵科色が付けられる事になった。 野戦服と同様に戦況の悪化でウールの使用量が減らされ、レーヨンの混紡率が増えていき、1943年ごろにはフィールドグレーというよりグレーブラウン色っぽくなっていった。戦車兵の黒服ズボンの場合と異なり、突撃砲兵のズボンは将官の場合には二本の赤線が入った。 突撃砲兵の間では戦車兵の黒軍服を着たがる者が多かったといい、戦争後期になるにつれて突撃砲兵には規則違反で黒い戦車兵軍服を着用している例がみられるようになる。また戦争後期にはドイツ装甲部隊は戦車不足を突撃砲で補おうとしたため、突撃砲に搭乗する戦車兵がおり、彼らは黒い戦車兵軍服やデニム戦車搭乗服を使用し続けた。 突撃砲兵の襟章。戦車兵の髑髏の襟章の台布を使って通常のドッペルリッツェンを入れている 突撃砲兵の軍服(ヨハン・ルッツ少尉) 突撃砲兵の軍服(1944年南ウクライナ) 突撃砲兵の軍服(1943年ロシア) 左が突撃砲兵の軍服。履いているのはフェルト製ブーツ [先頭へ戻る]
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