稲城市内への開発の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:08 UTC 版)
「多摩ニュータウン」の記事における「稲城市内への開発の進展」の解説
「向陽台 (稲城市)」、「長峰 (稲城市)」、および「若葉台 (稲城市)」も参照 稲城市内にあたる地区では、1988年3月、第1住区の向陽台での260戸の入居をもって入居開始となった。 この地区は京王相模原線沿線で、多摩ニュータウンのなかで最も都心寄りに位置するため、当初から鉄道が開通していたが、雨水排水の問題からそれまで開発が進んでいなかった。河川の流域は多摩川の支川である三沢川であるが、すぐ下流からは川崎市に入るため調整が難しかったためである。 1971年7月の事業承認時点では、暫定的に調整池を設置することが予定されていたが、この地区の地層は水に弱く浸食しやすいため、設置が困難であることが判明した。 このため、地区内から多摩川へ至るトンネル放水路を新設することとなり、三沢川分水路が整備された。これは三沢川中流部から分水後、地区内の雨水幹線を2か所で合流させ、南武線多摩川鉄橋の上流100m地点で多摩川に流入させるもので、総延長2,679m、トンネル断面は最大内径8.1mに及ぶ大規模河川トンネルである。1978年10月に着工、1985年3月に完成。これにより当地区の雨水排水の問題は解決し、開発にこぎつけることになった。
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