神護寺蔵伝源頼朝像との関連
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「次将装束抄」の記事における「神護寺蔵伝源頼朝像との関連」の解説
神護寺蔵「伝源頼朝像」は、20世紀後半以降、描かれている人物や成立年代を巡って論争がある作品であるが、近藤好和は本書をもとに「伝源頼朝像」の解析を試み、鎌倉時代前期の作品として矛盾はないと結論づけた。ただし、「伝源頼朝像」は下襲と表袴に文様があるため、像主は公卿か、禁色勅許を得た有力家の四位・五位の人物と考えられる。このような禁色人は、通常、若年のうちに公卿に昇進するが、「伝源頼朝像」は壮年期の顔をしていることから、像主は公卿と判断され、もしそうであれば本書の記述の対象外である。ゆえにこの解析には疑問が多い。そもそも縫腋袍に毛抜型太刀の組み合わせは、鎌倉時代の「伝藤原有範像」(東本願寺蔵)、室町時代の『藤原爲相像』(冷泉家)、『源頼政像』(平等院蔵)など中世の束帯像には一般的であり、有職故実的な意味よりも絵師の約束事と解するほうがよいと思われる。
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