神学・宗教分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 07:40 UTC 版)
副島自身は特定の宗教や神学への信仰はないが、宗教を学問の対象として学ぶマックス・ヴェーバー流の宗教社会学を小室直樹から学ぶ。副島の神学・宗教理解(特にキリスト教)はその他にフリードリヒ・ニーチェの影響がある。副島は神道・キリスト教・儒教・仏教は性欲否定と金銭否定と教団を作ることから駄目だと論じる。その崇高な使命は偽善に転化していると主張する。そしてありのままの人間像を愛する道教を賞賛している。しかしそれは偽善がないというだけで本当はイエス・キリストや仏陀の方が好きだという(副島はイスラム教も偽善がないと賞賛している)。副島のキリスト教理解の核がニーチェ・マックス・ヴェーバー、小室直樹だとすると、仏教理解は主に中村元と富永仲基の影響が大きい。副島の仏教批判は大乗仏教に向かっており仏陀以外の権威を否定し、大乗仏教はただの信仰であり本物の仏教ではないと批判している。そして輪廻を抜け出し解脱するということは当時のインドの信仰の輪(ヒンドゥー教)から抜け出すということであり、仏陀は輪廻を抜け出したのではなく輪廻など考えなくて良いというところにいったと主張している。また解脱と輪廻転生はヒンドゥー教の思想であって仏教や釈迦の思想では無いとしてそれらを否定している。それと日本の神道は中国の道教が日本的に変化したものだとも言っている。
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