神のいる島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 07:27 UTC 版)
入砂島の頂上付近にある4つの御嶽は、西御嶽・中御嶽・黒崎御嶽・浜崎御嶽で、渡名喜住民の聖地とされ、住民はこの島をまもり、毎年シマノーシ(島直し)の祭礼をおこなってきた。渡名喜島にある「神の宿る岩」(イェーンシジ)は、入砂島から渡ってくる神の岩だとされている。中御嶽の入砂の神は入砂島から船で渡ってくる、あるいは馬で渡ってくると伝えられている。 「 入砂島は神がいる島なのでそこに潮干狩に行ったら「神様の島に来ました。無事に潮干狩をさせて下さい。」と合掌した後で島に上がり、また、乱暴な言葉を使ったり大声を出すと祟りがあると言われた。 」 —沖縄県「沖縄のしまじま」 1933年から町四反の新畑が開かれ、新設道路や防風林もつくられた。魚介類や海藻の宝庫で、とくにタコとエビの名産地であった。 1945年、慶良間諸島に侵攻した米艦隊は、この島にも特攻艇が秘匿されているのではないかと警戒し、入砂島に艦砲射撃を行った。その後も占領は続き、特定防衛施設として現在では深夜11時まで照明弾を落とし射爆訓練が行われる。その様子は4km先の渡名喜島からもよく見える。 「 この島は米軍の銃砲弾を浴び続け足の踏み場もないほどに地表は荒廃してしまっている。 」 —『渡名喜村史(上巻)』 1997年、『渡名喜村史(上巻)」によると、渡名喜島出身の神女五人が島に渡り、50数年ぶりの祭事をおこなったが、島にあった4つの御嶽すべてが、その位置すら確認することができない状態であった。
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