碓氷峠列車逆走事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 03:12 UTC 版)
1901年7月13日午後8時40分ごろ、官鉄信越線横川駅午後7時50分発下り長野駅行き第51旅客蒸気列車が、熊ノ平駅を越えて第26号隧道を4分の3ほど過ぎたところで機関車煙室内の蒸気管接合部が外れ、爆音とともに機関車内が蒸気と火の粉に包まれたため、機関手が非常制動をかけて列車を一旦停止させたが、急勾配により逆走し始めた。車掌は乗客に床に伏せるよう指示し、機関手とともに、約2キロメートル逆走した第10号隧道入口付近で何とか列車を停止させた。機関助士2名は事故発生時に蒸気によって車外へ吹き飛ばされ、それぞれ軽傷と重傷を負ったが、事故直後に自力で飛び降りて脱出して近くの信号場へ事故を知らせた乗客1名に怪我はなく、約40名の乗客も停止後に列車を降り、無事軽井沢駅まで歩いた。 毛利親子は、軽井沢に新築した別荘の検分を兼ね、避暑に行くため同列車に乗り合わせて事故に遭遇した。重輔は乗客に飛び降りろと叫ぶと、12歳の助三郎の手を引いてデッキから飛び降りたが、運悪く足を引っかけて倒れ、車輪の下敷きとなり、その勢いで投げ出された助三郎も頭部を殴打して絶息した。鉄道の専門知識から、逆行列車を止める難しさを知るがゆえの判断だったのだろうと言われる。
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