砲火力強化の試みと挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 05:14 UTC 版)
「トライバル級駆逐艦 (2代)」の記事における「砲火力強化の試みと挫折」の解説
イギリス海軍は1924-5年度より駆逐艦の建造を再開し、まず改W級駆逐艦をもとに第一次世界大戦の戦訓や新しい技術を盛り込んだプロトタイプとしてアマゾンとアンバスケイドを建造したのち、1927-8年度のA級より量産に移行し、1935-6年度のI級に至るまで、順次に改正を加えつつ79隻が建造された。これらはいずれも、基準排水量1,300トン級で船首楼型・2本煙突の船体に45口径12cm砲(QF 4.7インチ砲Mk.IX)4門を搭載していた。 イギリス国外では、1920年代後半よりフランス海軍のシャカル級(40口径13cm砲5門搭載)や大日本帝国海軍の吹雪型(50口径12.7cm砲6門搭載)など、有力な艦砲を備えた大型駆逐艦の整備が相次いでいた。この趨勢に従い、イギリス海軍でも駆逐艦の砲装強化が検討され、1931年よりC級嚮導艦ケンペンフェルトで50口径13cm砲(QF 5.1インチ砲Mk.I)の搭載試験が行われた。成績次第では1933-4年度のG級への搭載も検討されていたが、駆逐艦上での操砲困難が指摘されて装備化は見送られ、以後も45口径12cm砲の4門装備が踏襲されていくことになった。
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