知識と信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 03:53 UTC 版)
キリスト教においては、旧約聖書の創世記に登場するアダムとイブが神から善悪の知識の木の実を食べてはいけないといいつけられていたにもかかわらず、蛇にそそのかされイブが、それに続いてアダムまでそれを食べてしまい、その結果人間は神から隔てられてしまった、とされている(創世記 3:22)。 カトリシズムや聖公会などのキリスト教では、知識を 《 聖霊(Holy Spirit)の7つの贈り物》の1つとしている。 イスラム教においても知識(アラビア語: علم, ʿilm)は重要である。アッラーフの99の美名の1つに「全知者」 "The All-Knowing" (アラビア語: العليم, al-ʿAlīm) がある。クルアーンには「知識は神がもたらす」とあり (2:239)、ハディースにも知識の獲得を奨励する言葉がある。「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ」とか「正に知識を持つ者は預言者の相続人だ」といった言葉はムハンマドのものと言われている。イスラムの聖職者をウラマーと呼ぶが、これは「知る者」を意味する。 グノーシス主義はそもそも「グノーシス」という言葉が「知識」を意味し、知識を獲得しデミウルゴスの物質世界から脱することを目的としている。セレマにおいては、知識獲得と聖守護天使との会話を人生の目的とする。このような傾向は多くの神秘主義的宗教に見られる。 ヒンドゥー教の聖典には Paroksha Gnyana と Aporoksha Gnyana という2種類の知識が示されている。Paroksha Gnyana (Paroksha-Jnana) とは受け売りの知識を意味する。本から得た知識、噂などである。Aporoksha Gnyana (Aparoksha-Jnana) は、直接的な経験から得た知識であり、自ら発見した知識である。
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