真鍋台遷座以後
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「八坂神社 (土浦市)」の記事における「真鍋台遷座以後」の解説
真鍋台の「安達太郎明神傍」に遷座した当初は、本殿は「大形の霊地」のある北西に向いていたが、土浦城の鎮守と定められる際、南向きに改められた。その後、土屋氏により代々社殿等の造立や営繕が行われた。元禄13年(1700年)、土屋相模守政直により現在の本殿が造営された。享保13年(1728年)、土屋但馬守陳直により拝殿と鳥居が建立された。享和元年(1801年)、土屋但馬守英直により拝殿鳥居等の修復が行われ、本殿に彫刻が施された。天保2年(1831年)、土屋相模守により本殿が再修された。 新編常陸国誌には、寛文2年(1662年)、「土浦城主朽木伊豫守、田畑4反9畝4歩を奉りて除地となす」と記されている。当時の常陸土浦藩の藩主は朽木稙昌である。また享保17年(1732年)、「土浦侯土屋但馬守、旧高5石の租を寄付して、且守護神とす」と記されている。神社データベースには「代々の領主から高4石3斗9升及社領4反9畝を寄進された」とまとめられている。 明治元年(1868年)、土浦町の鎮守となり、明治6年(1873年)、郷社に列格した。 大正2年7月10日(1913年)、常名村の羽黒神社を合祀した。 明治12年(1879年)、氏子地区6ヶ町村の寄進により幣殿を建立した。大正13年(1924年)、社司氏子総代等により社殿を茅葺屋根から銅板屋根に葺替え、社務所を新築した。昭和59年(1984年)、社務所を再建した。 平成13年(2001年)、本殿、拝殿及び幣殿が土浦市指定有形文化財となったことを受けて全解体修復営繕事業が発足し、平成18年4月22日(2006年)に竣工した。
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