真葛の政治経済思想について
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経済論に対しては、「婦女子にはいとにげなき経済のうへを論ぜしは、紫女清氏にも立ちまさりて、男だましひある」と述べ、「忠信の一議」であるとして、女性である真葛が経済を論ずることを「いとめずらかなり」と評価する。しかし、結局は「末を咎めて、本を思わざるのまよい也」として本末転倒の議論であると主張する。 馬琴は、領主の窮乏化を社会体制の危機であるとはとらえない。武家と町人・百姓の対立は避けがたいものではなく、むしろ領主による仁政によって調和しうるものと見なしており、民が富むことは領主が富むことにほかならないのだから、物価騰貴の責任を町人に帰そうとする真葛の所論は間違いであるとする。 また、真葛の指摘した「智術」における西洋人の優秀性を馬琴も認めるが、「智術に長けて、その齢の長からざる」は「禽獣にちかければなり」と述べ、それは「国を治め家をととのえ、民に教える」ものではないとして、「国家の要領は徳にあるのみ」として、「智術」ではなく「徳行」こそが政治にとっては至上の価値をもつという道徳主義に立脚する。 このような立場に立って、馬琴は真葛が着目した「君子にして商う」政治経済論を否定する。馬琴の大義名分論的な立場からすれば「士農工商」の身分秩序は和漢を通じて不変の制度であり、ロシアにおいて「大臣」が商工業にたずさわるのは、食糧に乏しく貿易に頼らざるを得ない「えみしの国」だからだとする。そして、真葛が唱えるように制度の改変によって危機を打開するのではなく、あくまでも為政者の徳行と教化によってこそ、利を正し、争いを滅することができると論じ、民衆の政治参加を否認する。
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