相模鉄道・神中鉄道時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:05 UTC 版)
神中鉄道は星川停車場開業に伴い、自社路線と省線横浜駅の鉄道未成区間を連絡輸送するため、1926年より星川停車場 - 横浜駅間で乗合バス事業を行った。その後、1929年の西横浜停車場の開業により、乗合バス事業は短期間で中止された。 こうした自社鉄道路線の未成区間の暫定輸送として乗合バス事業を行った形態は、1913年(大正2年)4月15日に京王線の未成区間で暫定的に乗合バスを運行した京王電気軌道(現:京王電鉄)に類似する。しかし京王電気軌道がまもなく沿線地域の中小事業者を買収して乗合バス事業を再開したのとは対称的に、神中鉄道のバス事業は戦後に相模鉄道となってから復活するまで再開されることはなかった。 その一方で、現在のJR相模線に当たる路線を開通させた相模鉄道は、自社沿線の上溝 - 厚木間の乗合バス路線を愛高自動車商会から譲受し、相模原地区にて乗合バス事業も行っていた。しかしその後に大東急入りしたため、戦時中に相模線沿線のバス路線を東海道乗合自動車(現:神奈川中央交通)に譲渡し、バス事業から撤退した。 「大東急」および「神奈川中央交通#戦時統合へ」も参照 また戦時中に、相模鉄道は神中鉄道を吸収合併したものの、逆に自らが開通させた相模線部分を国に戦時買収されるなど紆余曲折を経て、鉄道路線は神中鉄道由来の部分だけが残ることとなった。 「相模線#相模鉄道(開業後)」および「戦時買収私鉄#買収路線一覧」も参照
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