皇族大礼服
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皇族大礼服 明治9年様式(山階宮晃親王) 明治44年様式(多嘉王) 皇族大礼服は、明治6年2月22日太政官布告第64号を以って制定された当初、非役有位大礼服の桐紋を菊紋(十四葉一重裏菊紋)に置き換えたようなデザインであった。しかし、非役有位との区別がつきにくいことから、明治9年10月12日太政官布告第125号を以って菊紋唐草模様に改められた。 明治44年(1911年)には「皇族服装令」(明治44年5月26日皇室令第3号)が公布され、明治6年及び明治9年の太政官布告は廃止された(同令附則)。服装令では皇族の大礼服と小礼服が定められており(同1条)、大礼服は太政官布告の菊紋唐草模様が桜花唐草模様となり、襟元を詰襟(立襟を最上部まで閉じる)とする旨が明記された。しかし、皇族が官職に就いている場合はその官職の服制に従うとされており(同5条)、かつ親王及び王は特別の事由がない限り満18歳以上になると陸軍又は海軍の武官に任じられたため(「皇族身位令」(明治43年皇室令第2号)第17条)、その多くは軍服を着用しており、皇族大礼服を着用した者は軍歴のない山階宮晃親王や多嘉王などごく少数に限られた。 太平洋戦争での敗戦により日本軍が解体されると、天皇の御服と同じく皇族の服装にも改正が加えられ、軍服に代わる常装の詰襟型皇族服が制定されたが(御服よりも装飾が少なく、菊紋は十四葉一重裏菊紋を用いる)、皇族服は昭和22年5月2日皇室令第12号「皇室令及附属法令廃止ノ件」を以って廃止された。 皇族大礼服 明治6年2月22日太政官布告第64号図式 明治9年10月12日太政官布告第125号図式 明治44年5月26日皇族服装令図式
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