皇族女子からの世数の方が近い例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 16:45 UTC 版)
「女系天皇」の記事における「皇族女子からの世数の方が近い例」の解説
歴史上、皇族女子からたどった天皇の世数の方が、その配偶者である男系男子より近い、いわゆる「婿入り」のような事例がある。 第26代継体天皇(5世孫が皇女と婚姻) 第25代武烈天皇には男子がおらず兄弟もいなかったため近江国から来て即位し、武烈天皇の姉である手白香皇女と婚姻した。継体天皇は応神天皇の男系の5世孫(曾孫の孫)とされている。 第49代光仁天皇(皇孫が皇女/皇妹と婚姻) 第38代天智天皇の男系の孫である。壬申の乱の後、天皇の皇統は天武天皇系統に移った。その後第45代聖武天皇の皇女(第46孝謙天皇/48代称徳天皇の皇妹)井上内親王と結婚。しかし度重なる粛清によって天武天皇の嫡流(男系)にあたる皇族がいなくなっており、第48代称徳天皇の祖父のはとこである白壁王が第49代天皇として即位。 第119代光格天皇(皇曽孫が皇女と婚姻) 第113代東山天皇の男系の曾孫。第118代後桃園天皇が崩御したときに皇子がおらず近親にも有力候補がいなかったため、世襲親王家・閑院宮家から選ばれ即位。後桃園天皇のただ一人の皇女欣子内親王と結婚。
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