的矢小学校の創立とは? わかりやすく解説

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的矢小学校の創立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 14:41 UTC 版)

志摩市立的矢小学校」の記事における「的矢小学校の創立」の解説

1873年明治6年9月23日学制発布により的矢村の宿円庵に開設されていた寺子屋改組し、「的矢学校」が創立された。所在地的矢村字里575番地で、校地は415.8m2、校舎である宿円庵などの建物総面積は135m2で、3教室物置廊下だけの小さな学校であった。宿円庵は1875年明治8年)に廃寺となったが、的矢学校校舎としてそのまま使用され、翌1876年明治9年)より本格的に授業開始した1887年明治20年)には、的矢尋常小学校改称し三ヶ所渡鹿野分教場設置した1892年明治25年)、三ヶ所分教場は「三ヶ所尋常小学校」として独立的矢村甲賀村高等小学校組合加入し、「志摩高等小学校第一分校」へ通学することとなったその後的矢村児童数増加したため、新校舎建設しようとする機運高まり建設費約1,100円敷地工事費58円をかけて1899年明治32年6月18日新校舎落成した校地は686.4m2、校舎木造平屋建て瓦葺176.5m2となった同年渡鹿野分教場尋常科1・2年生のみが通学することになり、尋常科3年生以上は本校通学となった1901年明治34年4月高等小学校組合から離脱し高等科併設した「的矢尋常高等小学校」となり、高等科のために校舎増築した1908年明治41年)、義務教育6年間に延長されたことにより、三ヶ所尋常小学校渡鹿野分教場的矢尋常高等小学校統合した統合により増加した児童対処するため、初代校地の南に隣接する的矢村神社境内校地充て1909年明治42年)に着工1910年明治43年10月に494.3m2の曲尺型の校舎完成した旧校地は運動場として利用されることになった。これにより普通教室は5室となったが、1920年大正9年)には教室不足のため、如意寺禅法寺借用して授業を行わねばならなかった。1924年大正13年)、的矢村図書館小学校内に設置する

※この「的矢小学校の創立」の解説は、「志摩市立的矢小学校」の解説の一部です。
「的矢小学校の創立」を含む「志摩市立的矢小学校」の記事については、「志摩市立的矢小学校」の概要を参照ください。

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