登高やみんな似てくる素老人
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
秋 |
出 典 |
秋の道(タオ) |
前 書 |
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評 言 |
老いの本質に言及した奇妙な味わいの一句である。「登高」の長寿を願うという本意が巧みに効用し、肩書も役割も脱ぎ捨てた「素老人」の語感が絶妙な働きを示している。 ところで厚労省の最新のデータの平均寿命によると、女性は世界1位で86・61歳。男性は80・21歳で世界4位。まさに長寿国日本である。我々はみんな死ぬまで加齢の途上にあるが、老齢の本質をどう捉え、どう立ち向かうかは、はなはだ心許ないのである。一人一人にとって初体験の領域だからである。 掲句の作者は「みんな似てくる」と断定したが、それは表情や姿勢などの肉体的な類似か、それとも言動に関わる精神的な相似のことか、多分、両面の酷似の指摘なのであろう。 確かに幼少期から同じような衣食住のなか、同じような教育を受け、激動の起伏を生き抜いて来て、老齢に至れば、みんなそっくりで当然なのだ。それは異端の個性よりも、同類同列の安堵感ゆえに、類は友を呼ぶ仕儀となるのであろう。 何年か前に掲句の作者の「高齢化時代の俳句」というテーマの講話を拝聴したことがある。犀利に構築された論旨で、俳壇高齢化の現状分析と高齢化世代の俳句の諸相を、超高齢の著名俳人諸氏の作品を引例しつつ解説し、高齢者の俳句の課題について、独自の老齢観を展開した内容であった。 再び掲句に戻れば、我々多くの世代が定年退職して素老人となった。めでたいような怖いような素老人である。とはいえ、俳句の視点でいえば、似た者同士の個性発揮も実力発揮も、長寿時代のこんにちでは、次へのスタートラインに並んだに過ぎないのかも知れぬ。掲句もそれを示唆していると思えるのである。 |
評 者 |
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備 考 |
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