疑古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 07:27 UTC 版)
疑古(ぎこ、拼音: )とは、古代中国史の歴史記述をめぐる、歴史学・文献学・考古学の立場(歴史観・方法論・歴史学研究法)の一つ。疑古主義ともいう[1][2]。
注釈
- ^ 「疑古」という語彙自体は古くからある。例: 唐代の『史通』疑古篇[4]
- ^ 竹元 2023, p. 232-234 に各冊の内容がまとめられている。
- ^ 春秋魯の僖公の時代[12]。
- ^ 白鳥の師である那珂通世が、1903年-1904年に崔述の『考信録』を翻刻している[25]。
- ^ 内藤湖南が仲基のことを知ったきっかけとして、彼が若い頃(ジャーナリスト時代)の上司で著名な仏教学者、大内青巒の影響があったとされる[26]。
- ^ 「信古」と「釈古」の違いとしては、「釈古」の方がより優れた立場、すなわち「疑古」と「信古」を止揚する(どちらにも囚われずに調停する)第三の立場、つまり史料批判をしつつ古史を好意的に解釈する立場、という意味で「釈古」と呼ばれる。そのような「信古」と「釈古」の呼び分けは、1930年代の馮友蘭によって提唱された[40]。あるいは後述の王国維が1920年代の時点で既にそのような立場をとっていた[41]。
- ^ ただし、当の王国維は一年前の1927年に自殺して世を去っていた[42]。
- ^ そのような遺跡の発掘作業は、中国人のナショナリズムと密接に繋がっていた。というのも、殷墟より前の仰韶遺跡や敦煌文献の発掘が、西洋人や日本人によって一方的に進められてきたという歴史があったためである[43]
- ^ 殷墟や二里頭遺跡が発掘された当時、それらが本当に殷や夏のものかをめぐっては、中国と日本のあいだで温度差があった[44]。なかでも上述の宮崎市定は、殷墟や甲骨文に対しても懐疑的な立場を固持していた[45]。
- ^ そのような覆された偽書説(仮託説)のうち、『老子』の説に関しては事情がやや複雑で、学者によって様々な見解がある(詳細は 老子 を参照)。
出典
- ^ 谷中 1998.
- ^ 岳 2005, p. 43.
- ^ a b c 佐藤 2018, p. 37f.
- ^ 竹元 2023, p. 234.
- ^ 楊 1995, p. 83f.
- ^ 顧頡剛著、平岡武夫訳 1987, p. 227f.
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- ^ 竹元 2013a, p. 106.
- ^ 竹元 2013, p. 107-109; 顧頡剛著、平岡武夫訳 1987, p. 71f.
- ^ 谷中 1998, p. 155.
- ^ a b 佐藤 2018, p. 38.
- ^ 竹元 2013b, p. 207.
- ^ a b c d 井ノ口 2012, p. 5.
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- ^ 楊 1995, p. 52.
- ^ 楊 1995, p. 52-63.
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- ^ a b c 浅野 2004, p. 21-25.
- ^ 裘 2000, p. 19.
- ^ 坂出祥伸『初学者のための中国古典文献入門』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2018年(原著2008年)、54-77頁。ISBN 978-4480098696。
- ^ 谷口 2013, p. 33.
- ^ 村山吉廣「姚際恒の学問――「古今偽書考」について(上)」『漢文学研究』第7巻、1959年、79頁。
- ^ 竹元 2013a, p. 108.
- ^ 竹元 2013a, p. 107;114.
- ^ 楊 1995, p. 74f.
- ^ 溝上瑛 著「内藤湖南」、江上波夫 編『東洋学の系譜』大修館書店、1992年。ISBN 978-4469230871。
- ^ 竹元 2014, p. 62-70.
- ^ 内藤湖南 (1925年)『大阪の町人學者富永仲基』:旧字旧仮名 - 青空文庫
- ^ 竹元 2014, p. 74.
- ^ a b 楊 1995, p. 75f.
- ^ 楊文信「20世紀における『史通』学の回顧-版本知識・伝承と受容の歴史を中心に-」『東アジア研究』第68巻、大阪経済法科大学アジア研究所、20頁、2018年。 NAID 120006950674 。
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- ^ 土田健次郎 (2011年). “津田左右吉の学問と姿勢—没後五十年津田左右吉展に際して—”. yab.yomiuri.co.jp. 読売新聞・早稲田大学. 2020年7月9日閲覧。
- ^ 馮友蘭 著、吾妻重二 訳『馮友蘭自伝 2』平凡社東洋文庫、2007年、51頁。
- ^ 佐藤 2018, pp. 37, 39.
- ^ a b c 佐藤 2018, p. 39.
- ^ 佐藤 2018, p. 40.
- ^ 佐藤 2018, p. 26;51-53.
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- ^ 井ノ口 2012, p. 6.
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- ^ 佐藤 2018, p. 78f.
- ^ a b 裘 2000, p. 20.
- ^ 「古代中国の大洪水伝説、地質学で論証」『BBCニュース・オンライン』、2016年8月6日。2020年7月8日閲覧。
- ^ 林澐 (2007). “真該走出疑古時代嗎? 對當前中國古典學取向的看法”. 吉林大学 史学集刊.
- ^ 佐藤 2018, p. 269(林澐の論文の紹介).
- ^ 曹峰著、西山尚志訳 2008.
- ^ 佐藤 2018, p. 269.
- ^ Lothar von Falkenhausen “On the historiographical orientation of Chinese archaeology”. Antiquity. (1993). doi:10.1017/S0003598X00063821. / ロタール・フォン・ファルケンハウゼン著、穴沢咊光訳「中国考古学の文献史学指向」『古文化談叢』第35巻、1995年。
- ^ 佐藤 2018, p. 77.
- ^ 佐藤 2018, p. 271f(西山尚志の見解の紹介); 西山 2017.
- ^ a b 佐藤 2018, p. 238-240.
- ^ 冨谷至 著「「骨董簡」とよばれるモノ」、中国出土資料学会 編『地下からの贈り物 新出土資料が語るいにしえの中国』東方書店、2014年。
- ^ 小寺敦「「骨董市場竹簡」をめぐる諸問題」『東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター報』第25巻、2011年。
- ^ 浅野裕一、小沢賢二『浙江大『左伝』真偽考』汲古書院、2013年。ISBN 978-4762965197。
- ^ 大西克也「浙江大学蔵竹簡『左伝』は研究資料たり得るか」『汲古』第72巻、汲古書院、2017年。
- ^ 佐藤 2018, p. 268-272.
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