現職刑事の告発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 21:11 UTC 版)
「オスカー・スレイター事件」の記事における「現職刑事の告発」の解説
新聞などによるキャンペーンが続けられる一方、かつて事件の捜査を担当したグラスゴー市警警部補のジョン・トムソン・トレンチ(上記参照)も、親友であったグラスゴーの事務弁護士デイヴィッド・クック (David Cook) に対し、内部情報をリークしていた。そして1914年3月、クックはこの情報をもとに、当時のスコットランド大臣トマス・マキノン・ウッドに真犯人の存在を指摘する上申書を提出し、事件の再調査を求めた。ウッドはこの要求を容れ、ラナークシャー(英語版)の州裁判所(英語版)(民事裁判所)判事であったジェームズ・ガードナー・ミラー (James Gardner Millar) を長とする再調査委員会(ミラー委員会)を設置した。 事件当時は士官であったトレンチはあれから警部補に昇進し、勤続21年の敏腕刑事と知られ、国王から勲功章を授与されるまでになっていた。かねてからトレンチはスレイターの事件での面通しの方法に不信感を抱いていたが、その不信感が決定的になったのは、1912年10月にダンディー近郊のブロウティ・フェリー(英語版)で発生した殺人事件がきっかけであった。 その事件は、老婦人の被害者が撲殺された点、被疑者がよそ者であった点、そして目撃証言をほぼ唯一の証拠として被疑者が特定された点などがスレイターの事件に酷似していた。犯人とされた貧しいカナダ人の男は、5人の目撃者に犯人であると断定されながらも、自分は事件当日はアントウェルペンにいたと主張していた。その捜査手腕を買われてダンディー市警から応援を要請されたトレンチは、男の言葉を信じて現地へ赴き、そこで男が事件発生時刻と同じ時刻にウェストコートを質入れしていたことをつきとめた。このアリバイによって男が釈放された経験から、トレンチはスレイターの冤罪を確信するようになり、かつての公判に提出されなかった証人たちの供述書をクックに暴露していた。
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