現皇室との接点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 01:20 UTC 版)
貞成親王は庭田幸子(敷政門院)との間に2王子を儲けた。第1王子の彦仁王は後花園天皇となり、この皇統が今日の皇室へと続いている。一方で、第二王子の貞常親王は伏見宮を継承し、この系統も明治まで続いてそこから多くの宮家が創設された(第125代天皇明仁の生母である香淳皇后(昭和天皇后)の出身である久邇宮もその系統のひとつである)。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)にGHQの指令により皇籍離脱した旧・宮家11家の旧・皇族はすべてこの伏見宮の系統に連なるものである。1947年(昭和22年)の11宮家の皇籍離脱と現在の皇室典範施行の下で、皇位継承権をもつ皇族男子の数が減少し続ける今日、その解決策の一つに挙げられているのが旧・皇族の皇籍復帰だが、その旧・皇族でさえも現・皇室から枝分かれしたのは実に500年以上前のことで、この貞成親王が両系統が共有する最後の男系祖先である。 ただし、女系を含めた場合は江戸時代の敬法門院(第一王子後花園天皇の雲孫にあたる霊元天皇の典侍)がより最も近い共通祖先となる。霊元天皇・敬法門院夫妻の皇女である福子内親王(東山天皇の同母妹)が邦永親王(伏見宮第14代当主・第二王子貞常親王の仍孫)の典侍となり貞建親王をもうけ、貞建親王の曾孫が11宮家の源流である邦家親王である為。
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