現在のイントラムロス
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「イントラムロス」の記事における「現在のイントラムロス」の解説
1980年代、当時のファーストレディー、イメルダ・マルコスの指揮の下、イントラムロス管理局は街を復旧し、現在そこはかつてのスペイン時代の影響が保たれるマニラ唯一の地区である。今日のマニラの開発のほとんどはイントラムロスの門の外で行われ、ジョリビーやマクドナルド、スターバックスの店舗が城壁内の著名な教育機関のそばに開いているとはいえ、イントラムロスの現存する城壁や街路、教会への近代化の影響は最小限にとどめられている。イントラムロスを囲んでいた古い堀は埋め立てられ、地元の人々と外国人たちがスポーツを楽しむゴルフ・コースに姿を変えている。サンティアゴ要塞は今では来訪者たちがその庭の中で過ぎ去ったスペイン時代のノスタルジックなロマンスを楽しむことのできる観光スポットとなっている。2003年のフィリピン観光年において、リチャード・J・ゴードン観光長官はそこをライトアップするためと光と音の美術館を立てるためとの資金を調達したのみならず、学生と市民によるボランティアの協力とともにイントラムロスを清掃した。 イントラムロスは現在フィリピンのいくつかの高等教育機関の拠点となっている。マニラ市立大学、マプア工科大学、フィリピン・リュケイオン大学、サン・フアン・デ・レトラン大学それにマニラ高等学校やサンタ・ローサ学院のような高等学校がある。 中世の要塞の設計に従い、イントラムロスの高い城壁に沿って稜堡(baluarte)、半月堡(revellin)、砦(reducto)が戦略的に配置されている。街への入り口は門(puerta)になっていて、それらの大部分は修復されているか立て直されている。こうした特徴的な部分の多くには名前がつけられている。たとえば、バルアルテ・デ・サンディエゴ、バルアルテ・デ・サン・フランシスコ・デ・ディラーオ、バルアルテ・デ・サン・ガブリエル、バルアルテ・デ・サンタ・バルバラ、バルアルテ・デ・サン・アンドレス、プエルタ・レアル、プエルタ・イサベル・ラ・セグンダ、プエルタ・デル・パリアン、プエルタ・アルマセーナス、ポスティーゴ・デル・パラシオ、プエルタ・サンタ・ルシアがある。
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