現代の判断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 23:09 UTC 版)
明治時代になると如仏の判決(全局死活論)を支持する棋士が多かったが、日本棋院が1949年に制定した囲碁規約では部分死活論が採用された。1989年の日本囲碁規約改訂では、対局の停止後での「死活確認の際における同一劫での取り返しは、行うことができない」という規定により、これが継承された。また中国ルール・台湾ルール(計点制ルール)では、コウに限らず一局中においてすべての同形反復が禁止されていることから死とされる。 1959年の呉清源 - 藤沢朋斎の三番勝負第2局において、呉が全局死活論での対局を申し入れた。呉が日本棋院所属棋士ではないために可能だった提案である。藤沢はこれを了承し、例外的なルールでの対局が行われた例となった。これは直前に行われた呉 - 高川格の本因坊三番碁の第2局で、終局時にコウの手入れを巡るルール解釈の問題が生じたことから、当時不合理な点の残る当時の囲碁規約見直しについての問題提起の一つであった、との見方もある。
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