王朝としてのハーシム家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 09:53 UTC 版)
「ハーシム家」の記事における「王朝としてのハーシム家」の解説
イスラム教の預言者ムハンマドの孫で、第4代正統カリフ・アリーとムハンマドの末娘ファーティマとの息子、ハサンの末裔(イスラームの伝統的系譜学上の区分では特に「ファーティマ家」にあたる)であると主張するアラブの王朝。10世紀の967年のタイモン以来、マッカのシャリーフ(宗教的指導者)およびアミール(地方総督)を務めていた。 1917年~1925年:メッカのアミールであるフサイン・イブン・アリーがアラブ反乱を起こし、オスマン帝国から独立してヒジャーズ王国としてアラビア半島のヒジャーズ地方を支配。しかし、サウード家のイブン・サウードにより国を奪われて亡命。 1921年~1958年:ファイサル1世によりイラク王国を建国。初め、イギリス委任統治下にあり、後に独立。1958年、7月14日革命により滅亡。旧ヒジャーズ王族の多くがイラク王族に合流。 1921年から現在に至るまで、ヨルダン・ハーシム王国の国王はハーシム家である。イラク革命以降は旧ヒジャーズ・イラク王族が合流。 また、同じハサン家末裔を自称する現存王朝にモロッコ王国王家のアラウィー朝があり、1918年から1962年に存在したイエメン王国王家は、ハサンの弟フサインの孫のザイド・イブン・アリーの子孫を名乗っていた。
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