王朝の出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 19:06 UTC 版)
「マケドニア王朝 (東ローマ)」の記事における「王朝の出自」の解説
コンスタンティノス7世は、先祖バシレイオス1世の父は古代アルメニアのアルサケス朝(パルティア王家の分家)の子孫、母はコンスタンティヌス1世の末裔という噂がある、と書き残しており、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』もそれを元にして書かれている。これは皇帝となった後で作られた伝説に過ぎないという見方がある。 一方でヘラクレイオス王朝やアモリア朝に倒されたレオーン5世といった同じアルメニア系である東ローマの王朝や皇帝については権威づけに利用していない。 少なくとも続テオファネス年代記においては、バシレイオス1世の父方祖父はイサウリア朝後期にコンスタンティノープルにやってきてアルメニア人が多いアドリアノープルに移住したマイクテスという人物であったとしている。 またバシレイオス1世の両親は繁忙期にはいわゆる季節労働を利用していたことが史書からうかがえるので、少なくとも貧農ではないという見方もある。
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