王室歌劇場とは? わかりやすく解説

王室歌劇場(1926年-1946年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 07:57 UTC 版)

ローマ歌劇場」の記事における「王室歌劇場(1926年-1946年)」の解説

1926年11月コスタンツィ劇場ローマ市庁によって買収され、王室歌劇場 (Teatro Reale dell'Opera) と改称された。建築家マルチェッロ・ピアチェンティーニ設計による部分改築が行われ、15か月休場の後、1928年2月27日ボーイトの『ネローネ』によって再開場した。 この改築によっていくつかの大きな変化もたらされた。「劇場通り」(Via del Teatro)として知られていた道路面していた劇場入口建物反対側に移された(旧入口は現在ではホテル・クイリナーレの庭園となり、新入口側には後に「ベニャミーノ・ジーリ広場」 (Piazza Beniamino Gigli) が造営された)。壇式座席区画廃止されボックス席の4階部分およびバルコニーとされた。内装スタッコ細工装飾新調され、また直径6メートルにも及び、27,000個ものクリスタルちりばめた豪華なシャンデリア吊るされた。 首都ローマ豪壮な都市計画進行していたムッソリーニファシスト政権はこの王室歌劇場も精力的に梃入れした。大恐慌影響でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場離れイタリア帰国したジーリラウリ=ヴォルピ(ともにテノール)や、カニーリア、チーニャ(ともにソプラノ)、スティニャーニ(メゾソプラノ)などのイタリア人名歌手を集結させ、名指揮者トゥリオ・セラフィン音楽監督戴いて、同歌劇場ミラノ・スカラ座比肩し得る黄金時代現出した1937年からは、ローマ市内にある古代ローマ時代公衆浴場遺跡カラカラ大浴場での野外公演観客収容人数6,000)も夏期シーズン開催されている。

※この「王室歌劇場(1926年-1946年)」の解説は、「ローマ歌劇場」の解説の一部です。
「王室歌劇場(1926年-1946年)」を含む「ローマ歌劇場」の記事については、「ローマ歌劇場」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「王室歌劇場」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王室歌劇場」の関連用語

王室歌劇場のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王室歌劇場のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのローマ歌劇場 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS