王室歌劇場(1926年-1946年)
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1926年11月にコスタンツィ劇場はローマ市庁によって買収され、王室歌劇場 (Teatro Reale dell'Opera) と改称された。建築家マルチェッロ・ピアチェンティーニの設計による部分改築が行われ、15か月の休場の後、1928年2月27日、ボーイトの『ネローネ』によって再開場した。 この改築によっていくつかの大きな変化がもたらされた。「劇場通り」(Via del Teatro)として知られていた道路に面していた劇場入口は建物反対側に移された(旧入口は現在ではホテル・クイリナーレの庭園となり、新入口側には後に「ベニャミーノ・ジーリ広場」 (Piazza Beniamino Gigli) が造営された)。壇式座席区画は廃止され、ボックス席の4階部分およびバルコニーとされた。内装はスタッコ細工や装飾が新調され、また直径6メートルにも及び、27,000個ものクリスタルをちりばめた豪華なシャンデリアが吊るされた。 首都ローマの豪壮な都市計画を進行していたムッソリーニのファシスト政権はこの王室歌劇場も精力的に梃入れした。大恐慌の影響でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場を離れイタリアに帰国したジーリ、ラウリ=ヴォルピ(ともにテノール)や、カニーリア、チーニャ(ともにソプラノ)、スティニャーニ(メゾソプラノ)などのイタリア人名歌手を集結させ、名指揮者トゥリオ・セラフィンを音楽監督に戴いて、同歌劇場はミラノ・スカラ座に比肩し得る黄金時代を現出した。 1937年からは、ローマ市内にある古代ローマ時代の公衆浴場遺跡、カラカラ大浴場での野外公演(観客収容人数6,000)も夏期シーズンに開催されている。
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