猿倉人形芝居とは? わかりやすく解説

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猿倉人形芝居

名称: 猿倉人形芝居
ふりがな さるくらにんぎょうしばい
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 木内勇吉一座
吉田千代勝一
鈴木栄太郎一座
選択年月日 1996.11.28(平成8.11.28)
都道府県(列記): 秋田県
市区町村(列記): 本荘市北秋田郡合川町雄勝郡羽後町
代表都道府県 秋田県
備考
解説文:  猿倉人形芝居は、明治期鳥海山麓の池田与八【いけだよはち】により工夫創始され人形芝居で、明治末期から昭和初期までは、全国巡業するほど人気博した人形操法は、人差し指中指の間に首を挾み左右の手で二体の人形を操る形式指人形で、人形セリフ人形遣いがこなす独得様式である。
 演目は、講談などを元にした「段物だんもの】」や、猿倉独自の「鑑和尚【がんてつおしよう】」や「三番叟さんばそう】」などがあり、いずれも人形甚句【にんぎようじんく】と呼ばれる民謡風の囃子にのせ、秋田弁軽妙なセリフ曲芸的な演技特徴とする。
 以上のように猿倉人形芝居は、地域的特色有するとともに近代各地観客嗜好合わせてその芸態発展させたものであり、芸能史的にも貴重である。

猿倉人形芝居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 14:43 UTC 版)

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猿倉人形芝居(さるくらにんぎょうしばい)は、秋田県明治期に始まり伝承されてきた人形芝居

歴史

明治期に秋田県百宅村(現・由利本荘市)の池田与八(芸名・吉田若丸)により、文楽などに独自の工夫を加えて創始された。池田の弟子の真坂藤吉(芸名・吉田勝若)の出生地猿倉(現・由利本荘市)から、猿倉人形芝居の名で呼ばれるようになった[1]

明治末期から昭和初期までは、東京をはじめ全国を巡業するほど人気を博す。秋田県内では木内勇吉一座、吉田千代勝一座、鈴木栄太郎一座の3座が現存[1]している。

1974年、上記3座が秋田県無形民俗文化財に指定[1]

1996年11月28日文化庁から記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択される[2]

概要

人形の操法は、隠れ使いと言われ、文楽などとは違い、人形遣いが幕の内側に隠れて操演する。両手に1体ずつの指人形を持って1人で操演し、台詞も全ての役を担当する。 演目は、三番叟講談などを元にした段物や、猿倉独自の演目「鑑鉄和尚」などで構成[1]

出典

  1. ^ a b c d 猿倉人形芝居 秋田県由利本荘市役所ホームページ 2022年5月7日閲覧
  2. ^ 猿倉人形芝居 文化遺産オンライン 2022年5月7日閲覧

外部リンク

出典



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