特科出身者の師団長就任に関する是非論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:48 UTC 版)
「伊地知幸介」の記事における「特科出身者の師団長就任に関する是非論」の解説
伊地知が東京湾要塞司令官であった明治40年(1907年)11月頃、師団長に転ずる事が取りやめられたことがある。この際に陸軍大臣・寺内正毅が井口省吾少将との談話の中で「元来特科出身将官ヲ師団長ニ為シテ可ナルヤ否ヤニ就テハ未解決問題ニシテ他日ニ決セラレサル可カラス云々」と語ったということから、この是非論が持ち上がった。井口は当事者である伊地知を訪問し意見を聞き、また上原勇作、川村景明、長岡外史、野津道貫、奥保鞏らと意見交換したうえで山縣有朋の意向を尋ねている。 その後、「兵科ヲ選バズ適任者ヲ以テ補スルヲ可トスルハ勿論」という結論となるのだが、そもそも、寺内が特科出身者の師団長任命を避けたがっていたということ自体が大いに疑問であり、井口の一人相撲であった可能性が高いとされている。
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